北九州市立大学同窓会

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平成22年度北九州市立大学公開講座 (同窓会員による講演)
基本テーマ 「北九州市立大学をバネに活躍する人々」

「レクチャー&ピアノコンサート」  
         ジュリアード音楽院出身のピアニスト 山本 百合子(特別講師)

 

 

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1  みなさまこんにちは。今日はようこそお越しいただきました。  
 レクチャーコンサートと言うお題を頂きましたので、音楽をただ聴く楽しみのみならず、作曲された背景や歴史的な関係を知った上で、その曲の楽しみ方が深く広くなっていただければと言う気持ちで今日はご用意いたしました。
 

演奏:バッハの平均律クラウディーア曲集第1巻第1番「プレリュード」

 今演奏しましたバッハのプレリュードは、音のピッチと言う問題に触れますが「ラ」の音が振動数440ヘルツを基準に調律してあり、現在は442ヘルツぐらいが常識となってきました。
 バッハの時代は393ヘルツという、すごく今よりおっとりとした響きだったそうで、ちょうど今お聞きいただいた曲はハ長調をロ長調で弾いたのですけれど、当時こんな感じで聞こえたのではないかと、ちょっと耳の楽しみ方をやってみました。
 お手元に解説が3枚つづりで届いていると思います。一番上は今日の公演の流れとどんな曲を弾くのかということ、次に歴史的なことと音楽のかかわりを大雑把ですが書き出してあります。
 軸としてはピアノの成長と言うお話を中心に進めていきたいと思います。
 15、16世紀にすでにバイオリンとかチェロとか名器といわれる、今現在残っている貴重で台数の少ない非常に価値の高い弦楽器は、完成を終えているのですね。
 ですけれども、ピアノが生まれたのはまだバッハが生きている頃、1709年で、バッハはチェンバロや、パイプオルガンといったいわゆる教会音楽の作曲家ですからピアノのために書いていないのです。
 ピアノが無かったわけではないのですが、バッハが生きている頃は小さなテーブルみたいな大きさで、フェルメールの絵画が一時話題になりましたが、その絵の中に描かれているようないわゆるチェンバロ(ハープシコード)でした。そういった形で本当に小さくて、文机のようなもので、実際家具職人が彫って作っていたのです。
 どうしてこんなすごいコンサートホールを鳴らす様に大変な大きさと音量を持つようになったか、「楽器の王様」と言われるピアノの姿は、生まれた1709年から140年から150年かかって完成を見るのです。
 バッハの時代から、ギルド制度という、親方の下に4、5人のお弟子さんがいて職人技をふるって木を彫って作っていた時代では、一年に何台できたのでしょうね。
 本当に気の遠くなるよう手作りをしていたわけです。
 ちょうど7年戦争が起きたことがピアノの生産に関わる転機となります。プロイセン、今のドイツですね、そこに優れたピアノ工房がたくさんあったのです。戦争が始まりプロイセンがイギリスと組んでいたのですけれど、相手側がなにせオーストリアとフランスで、戦火のさなか、落ち着いてピアノが作れない。
 戦火の火の粉が飛んでこないイギリスに、ピアノ工房の技術者たちが疎開したのです。そしてその時期が、イギリスにおける産業革命いわゆる綿織物工業などにつながっていく、まさに山崎教授の真骨頂、イギリスの経済学というお話になるのですけれど。
 経済的な大量生産、蒸気機関車の発明に伴う工業生産化。そこに世界に誇るピアノ工房の技術者たちの技術が一体化したわけです。一方で思想的にも、自由・平等・博愛といった精神が市民社会に浸透し始め、資本主義社会へのうねりとなってヨーロッパを揺るがしていくのです。

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 その大きなうねりがフランスの市民革命ですね。1788年、ベートーヴェンが18歳のとき、ボン大学に入学し、シュナイダー教授という資本主義思想の理想を高らかに論ずる授業で衝撃を受けます。

 自分は貧しい平民の出身なのですけれど、神から与えられた才能によって作曲という仕事をする、その才能に見合う報酬を受けることは当然の権利である、と主張した初めての音楽家です。王さまや貴族の使用人としての扱いではなく。
 生まれ故郷のボンを後にして、ウイーンに行き、大活躍が始まります。今からその革命的なピアノ・ソナタをお聴きいただきます。
 「悲愴ソナタ」です。“悲愴”と28歳ベートーヴェン自らタイトルを書きました。しかもフランス語で書いてあって、当時フランス市民革命に夢を託し、ウィーン市民のなかでフランスかぶれが流行り、フランス語で表現するような風潮もあったらしいのです。
ベートーヴェンの“悲愴”とは、悲観した悲愴ではなくで、この今の世を嘆き、近い将来それが大きなマグマとなって時代を変えていくパワーにつながってほしいという大変な願望をこめて書かれたのではないかと。
 お聞きいただくとそれが伝わっていただけるのではないかと思います。
 第1楽章に「グラーヴェ」(重々しくという意味)の序奏が1ページあるのですね。それは後の、序曲、オーケストラで、交響曲の前などによく演奏される序曲のスタイルに繋がっていきます。
ソナタ形式に、序奏、イントロですね、それをボーンと持ってくる。
 みなビックリしたのです。ウイーンアカデミー音楽院の作曲科の学生たちはプリント、コピー機が当時はありませんので手書きで写譜するのです。奪い合うように学生の仲間で写譜するのがすごくはやったらしくて、そしたらウイーンアカデミー音楽院の教授たちが「いかんあれは!異端児の作品を真似てはだめだ!」といって大騒ぎになったという逸話が残っています。

演奏: ベートーヴェン(1770−0827)作曲 ピアノソナタ第8番「悲愴」Op.13

 さて、時代は進んで、ちょうど今年が生誕200年記念といわれておりますドイツで生まれたシューマン、ショパンも同じ年1810年に生まれております。その翌年はリストもハンガリー出身といわれておりますが、ドイツで生まれ育って一躍ショパンと同じようにリストも時代の寵児としてピアニストの人生を歩みます。ピアニスト及び作曲家という優れた人達が当時はたくさんいました。ピアノが弾ける、そしてピアノで自分の音楽を表現するというのがとても大事なステータスでもありました。
 そして一方でピアノのモデルチェンジも、どんどん進んできまして、先ほど申し上げたベートーヴェンが、あるピアノの新しいモデルを弾いて「ああこれはすばらしい」といって名曲を書く、それをみんな弾きたくて、またその新しくモデルチェンジしたピアノが売れる、そのコマーシャルの役割もベートーヴェンはしていたのです。
 シューマンの時代になりますとオーケストラの作品をピアノで表現できないかと。ピアノには88鍵、鍵盤がございます。この88鍵の音域というのがちょうどオーケストラの一番低い音の出る楽器、そして一番高い音の出る楽器の全部の音域がピアノ1台の中に詰まっています。
ピアノのモデルチェンジという言葉をさきほどから何度も使っていました。
 何が根本的に違ったかと言うと、今演奏しましたベートーヴェンのソナタの頃はピアノはファからファまで61鍵しかないのです。この曲をお弾きになられる方は布とか本とかでファまでかくして弾いてみると「うわー。狭い」と、でも弾けちゃうのですけれどファの音が一番高い音で何度も何度も高らかになって出てきます。
 シューマンの時代になりますと、ピアノの音域をさらに高い音、さらに低い音に広げていくには、弦を引っ張る大変な力がかかっているのですが、引っ張る材質と持ちこたえるフレームが必要になってきました。そうなると従来の木の枠では追いつかない。そして今の金属フレームの開発が進みます。
 シューマンの奥さんのクララ・シューマンもそしてリストも世界で初めてコンサートピアニストと言う職業の名前をつけた生き方をした人です。資本家という階級の市民が増え市民用のコンサートホールが建てられました。それは鉄・鋼鉄そういったものの生産及び加工・建築技術の発達の結果です。そうすると千人、二千人を収容することのできる市民ホールができる、その市民ホールを揺るがす音量のあるピアノが必要とされるようになりました。
 シューマンは、ピアノにシンフォニーの響きの可能性を求めて「交響的練習曲」を書きました。

演奏:シューマン(1810−1856)作曲 「交響的練習曲」Op.13 

 後半はロシアの作曲家、プロコフィエフとストラヴィンスキー。
 世界万国博覧会が開催され、世界に向けての発信の場を得た、各国がたくさんの展示物を出品するなかで、たくさんの会社がピアノのモデルを出品します。
 ピアノの生産量を左右するのは結果的にドイツとアメリカ、軍艦の生産量と言う重工業、国の力を示すものでもあったのです。そういった力を示すことのできる国がピアノの生産量をあげていったのが面白いなと思います。
 一方では万博の影響だと私は確信しているのですが、いろんなお国自慢、お国の独特の文化が発表され、お互いに影響しあうわけですね、そうすると日本の江戸幕府時代に出品したといわれる葛飾北斎の浮世絵がこれがいわゆる、大変なセンセ−ションを巻き起こしてジャポニズムという言葉がうまれる。
 さて、そこで19世紀後半、パリでロシアバレエがデビューを飾ります。
バレエの文化は非常に高い水準を持っていたロシアですから、満を持してのデビューでした。

 演奏:プロコフィエフ バレエ組曲 「ロミオ&ジュリエット」より

 オーケストラをピアノで表現するという試み、もう一曲またお弾きしたいと思います。「ペトルーシュカ」はバレエがお詳しい方はご存知だとは思いますが、パリ、オペラ座バレエ団秘蔵の曲です。ストーリーはペトルーシュカと言う気の弱いちっぽけなやせっぽちの人形のお話なのです。そのステージにはロシアの春を待ちわびた市がたくさん立って見世物小屋やサーカスが繰り広げられて、そんなにぎやかな謝肉祭のお祭りの夕方起こったこと。このペトルーシュカと、屈強なムーア人、そして美しい踊り子をめぐる三角関係の物語をあやしい魔法使い人形使いが、魔法の杖を振ると踊りだす、そういう始まりでバレエが進んでいくのです。

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 演奏:バレー組曲「ペトルーシュカ」からの3章 ピアノ独奏曲に編曲

 今日は、ピアノのモデルチェンジとその背景の150年の歴史を、ダイジェストでお聴きいただきました。これをきっかけとして、みなさまの音楽の楽しみ方がより深い趣きとなりますことを願っております。