北九州市立大学同窓会
大学だより
小倉の「8・9」学生がつなぐ
北九州市立大生ら 原爆の火携え長崎に
伝える忘れない 8・15
戦争知らなくても知る努力はできる
ランタンの中で、赤ちゃんの手のひ
らほどの炎が揺れる。長崎原爆の日
の9日、北九州市小倉北区の勝山公
園であった慰霊式典。戦没者慰霊碑
前に下げられたランタンの火は北九
州市立大の学生たちが、福岡県八女
市星野村で守られる広島原爆の残り
火「平和の火」をもらい火したものだ。
公園の地には、かつて西日本最大
の兵器製造工場「小倉陸軍造兵廠」
があった。1945年8月9日、原爆を
積んだ米軍の大型爆撃機B29は、同
工場がある郡都・小倉を目指す。だ
が前日の空襲による煙と雲で視界
を遮られ、原爆は第2候補地の長崎
に投下された。
紙一重で運命を分かった九州と長崎。毎年8月9日の慰霊式
典は広島、長崎で被爆し、北九州に移り住んだ人たちでつくる
「北九州市原爆被害者の会」が主催している。
だが参加者が減っている。当初600人ほどだったが、近年は約
200人にとどまる。
慰霊式典をもり立てようと、北九州市立大で臨床心理学などを
教える中島俊介教授(62)が2010年から、ゼミ生らとともに加わっ
た。同会の石川六男会長(84)は「戦争を知る人も高齢化してきた。
若者たちが受け継ごうという思いがうれしかった。」と語る。
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中島ゼミの学生らは、慰霊式典に合わせ、勝山公園で「学生平
和太鼓フェスティバル」を催してきた。福岡県内の他大学の学生
にも呼び掛け、約100人で和太鼓を演奏する。夏の盛り、若者が和
太鼓に向き合える平和を思う。今年は竹をテントのような形に
組み、その中で戦争に関する絵本を朗読したり、2千人以上が死
傷した八幡大空襲(45年8月8日)の体験談を聞いたりもした。同大2年の松野裕香さん(19)は高校卒業まで長崎県で育っ た。幼いころから戦争や平和について学び、小学校では「平和委 員会」に所属。被爆体験者を招いた講話も熱心に聞いてきた。大 学に入って驚いた。「他の地域の人と話すと、原爆や戦争への関 心が薄い。平和への考え方がひっくり返った。命のありがたさを 一人でも多くの人と語りたい」
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広島の原爆の火を長崎へ―。中島ゼミの学生ら14人は慰霊式
典の後、平和の火を携え、自転車で長崎市の平和公園を目指し
た。北九州市から約230キロ。二つの被爆地をつないで史実を
しっかりと胸に刻み、伝えていく決意を示すために。火はランタンから蚊取り線香に移し、自転車にくくりつけた。 自転車をこがない者は電車を使って先回りし、毎日2〜3人ず つでリレーしながら火をつないだ。
終戦記念日の15日昼、長崎市入りした。夏空の下、平和祈念像 前で平和をテーマにした創作太鼓を高らかに打ち鳴らすと、居 合わせた数十人から拍手が湧き起こった。
67年前、同じ夏空の下で、多くの尊い命が奪われた。新潟県出 身で同大3年の菊池翠さん(21)は、汗だくになりながら「私たち は戦争の本当のむごさを知らないが、知ろうとする努力はでき る。平和を望む声を上げ続けたい」と話した。(大庭麻依子)
2012年8月19日 西日本新聞