北九州市立大学同窓会

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支部組織

八幡支部

北友会会報で見る支部総会

その後の総会の模様を《北九州大学同窓会会報》(以 下文中で、号数のみ記載)で見てゆくこととする。 まず、第36 号では、昭和52 年5 月28 日(土)会費3500 円で、支部総会を開催すると報じ、「支部の皆さんの積極的な参加をお待ちしております」と呼びかけている。

 54 年の総会は、第41 号で大々的に、詳しく記載されているので、イントロのみ引用する。

 「八幡支部の定例総会が、昭和54 年7 月7 日前回と同 じく平川幹事の世話により八幡東区中央町の八幡製鉄所大谷会館で開催されました。

 当日はあいにくの曇り空でしたが、定刻の6 時をまたず三々五々と当日の会合に胸をふくらませた同窓が集まりロビーで話に花が咲きました。当日の出席は女性3 人も花をそえ、50 人余が参加。石原学長、坂本先生を来賓に、同窓会本部より土谷会長、 児玉幹事長、上田組織局長、香月広報部長が出席されました」

 同時に、八幡支部のマンモス化がやってきた。同じ第 41 号で、当時の会計・西島司は、次のような問題点を指摘している。

 「年々マンモス化していく支部会員を抱え、支部活動の運営面では困難な問題をかかえており、今後如何にこれらの諸問題を解決していくかが大きな課題といえよう。 支部全員の年齢のひらきにどう対処するか、魅力ある支部づくりとしての同窓会活動の意義づけ、大学の近くの支部としての活動のありかた、又支部活動をする上で の財政面、と悩みは多い。がしかし、支部長を中心にガッチリまとまっている役員の努力が会員の協力をひきだして、これらの問題をのりこえていくだろう」

 57 年の総会は、第48 号で次のように書かれている。

 「12 月3 日(金)午後6 時半から八幡東区の北九州市勤労者会館(レインボープラザ)において八幡支部の57 年度総会が行われました。 当日は、師走の忘年会シーズンに入ったことが影響して会員の出席が60 人程度でしたが、同窓会顧問の谷市長をはじめ、石原学長、坂本教授、本部から土谷会長、児玉幹事長、重枝組織局長、延吉同部長と多数の来賓を迎えて盛大に開催されました。 八幡支部は、昭和33 年に発足し、現在では、小倉支部に次ぐ大きな組織ですが、今回の総会は54 年以降久し振 りで、出席者は近況を語り、ふれあいの論をひろげました。 仰木支部長は中堅や若い会員の積極的な活動と相互の連けい強化による組織の活性化を訴えました。 又、重枝組織局長は『会員は相互に利用するのではなく、活用しあわなければならない』と興味あることばで会員を激励しました」

 62 年の総会は、第57 号に次のように書かれている。

 「“青春を北方の地ですごした同窓が八幡に在住・勤務する御縁をより深いものとするために今宵楽しく充実した交流を”。仰木支部長の挨拶で久し振りの八幡支部総会が7 月4 日、新日鉄大谷会館で開催されました。

 川崎学長をはじめ、八幡在住の坂本(文)と中島、司馬田(法)の諸先生、土谷同窓会会長、広木、平副会長ら本部役員の皆さんを囲んで、豪雨の中を60 人余の参加。 八幡信用金庫の善さん(47 ・営)の名司会で校歌、逍遥歌の合唱もあり大にぎわいでした。

 今回の総会で嬉しかったことは○本部事務局の積極的な協力○支部役員の十分な打ち合わせ準備○そして若い同窓の積極的な参加があったことなどです。 最近やや中だるみの傾向にあった支部の活動ですが、 今回の総会でみた会員の積極的な反応などの力を得て、 今後努力していくことや、まだ不十分な40 周年募金に努めることなど話し合って楽しく散会。二次会に転換しま した」

  ここで、年号が改まり、〈昭和〉から〈平成〉となる。 平成第1 号の総会を平成元年に開いている。会報第60 号から。

 「八幡支部総会は、1 月14 日(土)に会員約70 人、大学・同窓会本部の皆様をお迎えして楽しく盛大に開催されました。今回の支部総会は、二つの特色がありました。 その一つは、中谷学長から、市のルネッサンス構想に即して大学が考えている基本構想と現在進行しつつある 交流計画、日本語学習センターなどのプロジェクトについて力強い報告があり、現状について認識を新たにすると共に、会員がそれぞれの立場で努力支援する気持ちになったことです。今一つは、支部会員の商学部32 年卒、田仲一雅氏が市議会議員に立候補するとの決意表明があり、川崎前学長、 土谷会長の激励の言葉などで雰囲気がもりあがったことです。 幸い八幡西区で定員15 人中8 位(新人6 人中トップ) で当選しました。 またの再会を約して逍遥歌をくちずさみつつ散会しました」

 平成3 年の総会は、第65 号に次のように書かれている。

 「“見よ青風の足立山。ゆるがぬ姿……”。ひさしぶりに集まった友と腕をくみ、意気盛んな校歌が八幡東区大谷会館にながれる。 7 月8 日、二年に一度の八幡支部総会のオープニングセレモニーが始まる。 中谷学長、土谷会長ら本部役員、そして、前回支部推薦で見事栄冠を手にした田仲(市議)、東(国会議員) の姿も見える。さらに嬉しいことは、小嶺学園の谷川さんの努力で多くの女性会員の出席があることだ。 その中には、娘が北九州大学に入学してヤット私も出席する気分になったといわれるお母さん会員もおられる。“今回は勤務で出席できない”“先輩の○○君と結婚する。母校をともにすることの喜びはすばらしい”とい う返事をいただいたり。 用件で出席できない方の思いをもこめて話しはつきない。 “5,000 人体制”を確立するための展望と課題を、情熱をこめて説かれる中谷学長のお話に、青春の一刻をすごした北方の学舎の変ぼうと自分の歩んだ来し方、行く 末を思いつつ、共に美酒をくみかわす一夕だった」

 平成5 年の総会については、第68 号から拾う。

 「二年に一回の北九州市八幡支部総会は、例年のとおり中央町のサンレスト大谷会館で1 月16 日に開催されました。 当日は大学の受験日であったため、大学側の出席はありませんでしたが、本部・河野副会長が大学の近況を説明し、土谷会長からは各地で活躍する同窓会員の状況や 今後の計画について挨拶があり懇親会に移りました。 初めて支部総会に参加したという児童文学誌“小さい旗”の主宰・水上平吉さん(30 ・中)や、娘が母校の学生になって、母子が同窓会員になるという木屋瀬の本浜幸子さん(44 ・米)をはじめ、常連や初顔の方々。 北九州市議候補・田仲一雅氏(32 ・商)や衆議院議員・東順治氏(44 ・米)の政界浄化に対する決意表明などもあり楽しくにぎやかな集まりになりました。 校歌・逍遥歌で青春をとりもどし、一番若い小こ茅がや智弘君(H4 ・法)の万歳三唱で次回の再会を約束して散会しました」

 平成5年8月27日の支部役員会で、仰木支部長の本部会長就任による支部長退任の申し出があり、後任に岸野利之を選出し、平成6年7月2日の支部総会で承認を受けることとなった。

 また、同年12 月9 日の支部役員会では、支部の活性化計画について検討し、第70 号で、次のように伝えている。

 「(1)『集いの場』を毎月第2 水曜日(当時は第3 水 曜日)に八幡駅前の〔多聞〕で開催する(2)[支部連絡所]を八幡東、西区に各2 カ所(吉村・森・田仲・田上) もうけ、看板を設置する」(要点のみ)