北九州市立大学同窓会

HOME > 支部組織 > 若松支部 > 支部のご案内

支部組織

若松支部

支部のあゆみ

 昭和33 年8 月28 日、佐藤クラブ(現・若松パークホテル)で、北九州大学同窓会若松支部の発会式が行われた。 本部から土谷会長、西野副会長、守谷組織部長が出席。 来賓に亀谷教授のお名前がある。支部会員出席者15 人。 高須幸作(25 ・専米)、池本一雄(24 ・専米)、勝野芳明 (25 ・専米、物故)、板垣賢治(25 ・専中)、佐藤宗市 (24 ・専米)、中島達雄(32 ・商)、隈部裕義(29 ・米)、 津崎賢一(25 ・米)、山本良則(24 ・専米)、堀良文(26 ・専米)、山崎庸男(物故)、田中勲(25 ・専中)、矢野清孝(32 ・商)、田口湧三(28 ・米)、丹波厚(物故) らであった。席上、役員の選出が行われ、初代支部長に高須幸作、副支部長に勝野芳明が就任した。当時の会費 500 円、諸経費の通信費300 円、印刷代600 円、官製葉書5 円の時代だった。

 35 年10 月7 日、第3 回総会で役員改選。2 代目支部長に前田義通(24 ・専米)が就任するが、都合により、昭和37 年、高須幸作が復帰し、3 代目となる。

 44 年11 月16 日、寿福義久(24 ・専米)が4 代支部長に就き、総会。45 年、若松西鉄ホテル(現・若松パークホテル)での総会の席上で、若松支部の愛称が決まった。 「北紫会」。記録が少ないため、その由来は明らかではな いが、当時は、運動会、ソフトボール大会なども計画さ れており、その活動は活発だった。当時の役員15 人。新規に、伊藤奎二郎(35 ・商)、藤原利衛(28 ・短、30 ・ 米)、花田俊夫(34 ・商)、池内寛(31 ・米)、進藤和己 (29 ・米)、樽見光男(36 ・商、物故)、徳永悟(34 ・米) が加わっている。

 48 年秋、寿福支部長が勇退、後任として、池内寛が5 代目となる。翌49 年、総会の折、予算が足りず、池内支部長が食事をふるまったことが懐かしい。

 50 年の総会で女性会員の初参加があり、51 年に同窓会創立25 周年を迎える。運命の不思議というべきか、この時、田中路子(47 ・国文)は25 周年記念史の若松支部原稿を執筆している(その後健康上の都合で引退し、復帰後、また50 周年記念史を担当することになる)。当時の役員は支部長・池内寛、副支部長・矢野清孝、幹事・岩井昭雄(41 ・米)、木坂正弘(41 ・米)、書記・田中路子。

 支部活動にしばらく空白の時があり、57 年12 月11 日、 料亭青柳で総会が行われ、支部長は藤原利衛(30 ・米)。 出席者15 人で、当時の北友会の会報に支部長談で「支部総会を開く度に出席者が減少するような気がしてなりません」とあり、返信用葉書すら返って来ないと悩みを訴 えている。

 61 年8 月17 日の総会で、支部長は板垣賢治へ引き継が れ、副支部長は陣野寿美子(28 ・米)。この年は開学40 周年にあたり、募金活動にテコ入れのため、本部から皆川委員長、河野副委員長、児玉幹事長らの出席がある。

 翌62 年10 月23 日、料亭にしきで総会。この年、若松支部から県議会議員・勝野芳明が誕生した。祝賀ムードいっぱいの懇親会だった。

 平成2 年1 月19 日、白石公司(34 ・商)の司会で、総会が始まった。中谷学長から大学の状況と将来の展望についてのあいさつがあり、勝野芳明が乾杯の音頭をとった。次回を12 月と決定し、参加者の増加、結束の和を誓って終わる。

 3年1月12日、寒の入りで厳しい冷えの中、若松パークホテルでは熱い戦いが繰り広げられていた。自己紹介、 母校の想い出、ノド自慢。矢野支部長は、「毎月総会を して欲しい」の声に「ヤッタぜ!」 9 年、4 期8 年にわたって努力された矢野支部長が勇退、岩井支部長(8代目支部長)へ引き継がれた。

 9 年2 月14 日の総会で、田中新学長へバレンタインチ ョコを贈り、学長のゼミ生、橋本芳男(62 ・商)、田中淳介(H7 ・商)がお祝いを述べた。21 世紀へ向かう支部活動の、うれしい光景がみえたような気がした。

 10 年8 月、岩井支部長が本部の組織担当副会長に就任 し、急遽田中路子が支部長に就く。勝野芳明が「若松支部から、全国女性支部長第1 号を出そう。僕が全面的に後押しする。路ちゃん一人に心配させないから」と力強 く、応援し、満場一致で決まったのだが、翌年11 月26 日、 勝野氏は急逝、それが支部への遺言になろうとは誰も考えもしなかった。11月28 日、若松の星・勝野さんと永遠の別れ。蓮台の向こうへ旅立たれた先輩へ心からの感謝とお礼を申しあげ、ご冥福を祈る。

 11 年4 月15 日、支部役員会。同窓会創立50周年記念事 業がスタートし、支部として、臨戦体制を組む。

▽支部長 田中路子
▽副支部長 陣野寿美子、須山有一
▽幹事長 吉原昭彦(57 ・済)
▽幹事 中村太吉(45 ・ 営)、清水丹(48 ・米2 )、宇都政弘(50 ・済)
▽会計 枌年行(49 ・営)
▽監査 神元正徳(35 ・商)
▽相談役 高須幸作、板垣賢治、池内寛、矢野清孝、白石公司、岩井昭雄

 強力なスタッフが揃い、月例の役員会で独自の募金依頼など、運命の女神を味方につけることに成功し、血縁、 地縁の有効利用によりその成果は目覚ましく、50 周年記念事業募金達成率200 %を達成、全国一位という、ありがたい数字をいただいている。

 支部活動にとっての悩みは若い同窓生の参加が少ない こと、女性会員の参加が少ないこと。これら2 つの課題がクリアできてこそ、支部の明るい将来がみえてくる。 神は越えられない試練は与えられぬとか。この試練に思い切り挑戦して、いつの日か越えることができると信じている。