北九州市立大学同窓会

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支部組織

大分支部

大分支部の歩み
大分支部創立の経過(第一期)

 昭和40年代になると年々大分地区の同窓生が増加し、相互の親睦や連帯意識の促進を図る上でも支部組織の発足が急がれていた。

 昭和46年11月7日、第21回同窓会本部総会からの帰りの車中で、三浦 温(S28・中国科、当時高校教諭)と藤井洪治(S28・当時高校教諭)の両名で早速支部結成の案作りを開始する。

 世話人として辻 正弘(S24・専米、当時高校教諭)、三浦 温、藤井 洪治、伊藤 毅(S32・中国、当時中学教諭)、大城 築(S32・商、大城商事社長)、井上恒男(S32・商、水分ドライブイン店長)に依頼し、本部の支援を得て規約並びに名簿作成を進めていった。
 
 支部の範囲は、すでに支部を有する県北地区及び日田地区を除く東国東郡から南海部郡、直入郡に至るまで7市7郡の広範囲とした。

 当時、該当地区には同窓生が116名在住していた。広い範囲を対象にしたのは将来各地区の発展的分離独立の基盤作りの一助とする意図もあった。

 そして昭和46年12月19日午後1時より大分市の東洋軒で、参加者39名によって支部設立総会が開催された。会長に辻正弘、副会長に三浦温、山口馨(S35・商、大分ヤクルト社長)、会計に多田秀康(S38・商、高校事務長)を選出。毎年11月に総会を開くことを決め、母校と支部の発展を願い3時間にわたる会を閉じた。

 大学からはロシア語の植村教授、同窓会本部からは大分支部に関係の深い海原副会長のご出席を頂いた。

 翌・昭和47年、レストラン・ウエダで30名が参加して第2回総会を開催。

 しかしその後、総会の要望を強く望まれながらも支部が広範囲にわたったことや、年齢的にも転勤等による異動、転居等職場業務に追われ総会開催にも影響が出て、事実上支部活動は中断状態に陥った。

 この後、小グループによる会合は度々持たれていたが全会員を対象とした支部活動の再開は18年後の平成2年以降となる。