北九州市立大学同窓会

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支部組織

宮崎支部

支部長時代の回顧

 平成5年2月、私は、平吉廣年氏 (33 ・商)のあとを受けて、第3 代の宮崎支部長になったのである。支部長になって、やらなければならな い当面の課題は、(1)毎年の総会の参加人員を増加させること(2)県北支部(延岡・日向地区)を結成させることであった。課題解決のために、大きな組織(職場)から、支部役員を構成した方がよいと考えて、副支部長に永野和良氏(40 ・商)、山下利明氏(36 ・商、都城支部)、事務局長に金谷紘吉氏(39 ・商、宮崎)、幹事に尾畑充宏氏(38 ・米)、黒木凱歌男氏(35 ・米)、柴下剛氏(45 ・商)、会計幹事に宇田津哲也氏(50 ・営)を選んだ。課題(2)の県北支部の立ち上げ組織化のために、地元の準備委員として、私の銀行の富永孝俊氏 (47 ・営)を任命した。彼が延岡市に在住する野間政親氏(39 ・商)、馬場俊弘氏(38 ・商)等に働きかけて準備委員会をつくり、平成5 年11 月、35 人の参加を得て県北支部(初代支部長・佐藤憲一、34 ・商)を結成させることができた。平成4 年の都城支部結成に加えて、宮崎県内に三つの支部ができ上がった。毎年、3 支部の総会には、各支部の役員が互いに出席して交流し合い、宮崎県内同窓会の結束を図っていく体制が出来上がった。1 つの課題は終わったが、もう1 つの課題である総会参加人員の増加策については、大変苦労を重ねた。毎年、2 月第2 土曜日が宮崎支部の定例総会日となっており、暮れの12 月初めから、会員への通知を始めなければならないが、支部予算が乏しいことから、全員へのハガキ発送ができないのが悩みの種であった。大きな組織(職場)には、支部役員を通じて連絡し、未参加の会員、新しい会員、 女性の会員を増やすために、同窓会名簿や、その他のデータを見て、電話・郵便による連絡をしたが、毎年、参加人員は65 人前後で、平成7 年2 月の68 人が過去最高 であった。総会の内容に魅力をつけるため、準備委員会を開いて、色々と趣向もこらしてみたが、若い世代になるにしたがって、母校を思う気持ちが薄れてきているの か、毎年若い人の参加が少なかった。年を重ねるごとに、母校(大学)の中の様子が大きく変革し、学生の男女割合や気質が変化しつつあることを本部役員から聞いていたので、同窓会の在り方も、それに合わして変わっていかなければいけないと考え、平成8 年2 月、6 年後輩の永野和良氏(40 ・商)に支部長を引き継いだ。 私が支部長として同窓会に貢献したのは3 年間であったが、母校及び同窓会に対する思いは並々ならぬものがあり、今後も微力ながら応援して行く積りである。

平成6 年2 月19 日“ホテルフェニックス”58 人出席。
県北、都城両支部より友情参加。

平成7 年2 月25 日“ホテルフェニックス”過去最高の 68 人が出席。
本部善岡幹雄、三好二三子両氏が出席。

平成8 年2 月24 日“ホテルフェニックス”66 人出席。
新装なった大学本館のビデオの放映、役員改選で3 年間支部長の重責を果たされた橋口武睦氏が勇退され、新支部長に永野和良(40 ・商・宮崎県庁)が就任した。

平成9 年2 月8 日“ホテルフェニックス”92 人という 過去最高の出席。
宮崎県出身の田中愼一郎学長と同窓会の藤井健一会長が出席。田中学長の熱っぽい講義で、いやが上にも盛り上がった総会となった。 女性会員だけの食事会平成9 年12 月13 日、「みやざき北九レディース」と名づけて、フェニックス・シーガイア内地中海レストラン「レスカル」で14 人の参加で開催。 「こんな楽しい会ははじめて、来年もぜひお会いしたい」 と大好評の集いであった。

平成10 年2 月7 日“ホテルフェニックス”100 人を若干 割る出席で盛会。永野和良支部長の「2000 年(平成12 年)に宮崎にサミットを誘致しますのでご協力を」との挨拶で盛り上がった総会となった。本部藤井健一会長、善岡氏、県北、都城両支部の幹部の出席があった。

平成11 年2 月13 日“ホテルフェニックス”80 余人の参加。女性も8 人が参加。「華」を添えた。開会のスピーチと乾杯。地元テレビ局一年目の本物アナが和服姿での熱弁の中国語スピーチで会場ア然など南国女性軍のパワーに圧倒された総会であった。田中学長、本部岩井昭雄氏が出席。