北九州市立大学同窓会

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支部組織

関東支部

―三鷹を歩こう会―
文士の町「三鷹」を楽しむ

 夜来の雨もすっかり上がり汗ばむほどの陽気となった10月16 日(日)の午後、8名の同窓生が「三鷹を歩こう会」に参加するため 吉祥寺駅に集まりました。今回のガイド役は下見も十分こなして 準備万端の森光盡一郎(S49・中)さん、そして道案内は三鷹の住 人村田重章(S42・米英)-筆者-が務めました。
 三鷹市と言えば文士の町。その代表格として三鷹市が売り出し ているのは“太宰 治”、“山本有三”そして“三木露風”などです。三鷹 市の教育委員会あるいは藝術文化振興財団が中心になって「文学 散歩マップ」や「太宰 治マップ」などを作成して、文士ゆかりの地 である三鷹を訪れる人を歓迎しています。またこれら文士にまつ わるモニュメントも駅前商店街に文学の彩を添えています。
 我々は主に太宰 治と山本有三のゆかりの場所を訪ねました。 まず吉祥寺駅から井の頭公園に入り、七井橋を渡って井の頭弁財 天へ。吉祥寺七福神でもある弁財天のお堂は三代将軍家光によっ て建てられたと言われていますが、現在のお堂はそれが焼失した 後1927年(昭和2年)に再建されたものです。弁財天から参道を歩 き玉川上水をめざします。参 道の入口に鳥居のような形の 黒門と石碑が立っています。 その石碑には“神田御上水水 源井頭弁財天”とある。
 玉川上水と言えば玉川兄弟 が完成させた飲料水のための 水路ですが、太宰 治はこの上 水に身を投じて愛人の山崎富栄と心中しました。入水した日は 1948年(昭和23年)6月13日。死体となって見つかったのは6日後 の6月19日。我々はまず死体のあがった現場の「新橋」に向かいま した。玉川上水は川幅が狭いわりには川底が深く、当時は人食い 川と呼ばれ怖がられていたと言います。今は水量がほとんどない ため当時の状況は想像するしかありません。
 新橋から玉川上水に沿って上流へと歩き、井の頭公園の西園を 通り抜けて宮崎 駿の三鷹の森ジブリ美術館に辿り着きました。 ジブリ美術館は三鷹が誇る施設で、全世界から来園者が絶えませ ん。残念ながら時間的余裕がなく入館できませんでした。ジブリ 美術館を最後に井の頭公園を出て三鷹駅へと続く玉川上水沿い の「風の散歩道」を三鷹駅の方に向かいました。
 井の頭公園から歩いて3分ほどのところに「路傍の石」や「米百 俵」などの代表作を執筆した山本有三の記念館(元山本有三の邸 宅)があり、入館することにしました。森光さんは手回しよく解説 者の依頼もしてあり、早速記念館の女性ガイドさんに館内を詳し く案内・解説してもらいました。有三の作品をはじめ所持品など が数多く陳列されています。またこの邸宅の内部は見ごたえのあ る作りになっており、建築の解説にも興味を惹かれました。どの 部屋も心が休むつくりになっており、しばらく読書にふけりたく なりました。有三は執筆活動に止まらず戦後は国会議員も一期務 めました。そして当用漢字表の制定に尽力したことでも知られて います。
 さてもう一人の文士太宰 治は、山本有三記念館から歩いて5 分足らずの所に住居を構えていました。平和通りと称される幅5 メートルほどの道からちょっと入ったところに住んでいたと言わ れている地点まで足を運び、道から3軒目の住居跡(注1) を遠めに垣間 見ました。すぐそばの井心亭には太宰 治の屋敷にあった百日紅 (サルスベリ)が生垣として移植されているのを見つけました。  そこからまた玉川上水沿いを走る風の散歩道に戻り、さらに上 流へと歩き、太宰 治が入水した場所を暗示するかのように置かれ た五所川原の玉鹿石と太宰のポケットスペースを確認しながら太 宰治文学サロン(http://mitaka.jpn.org/dazai/institution.shtml) へと急ぎました。
 太宰 治文学サロンは三鷹駅から歩いて5分足らずの所にあ り、毎日多くの人が訪問して来るそうです。サロン内には太宰の 生い立ちや、在りし日の太宰の姿を伝える多くの写真、さらに彼 の代表的な文学作品などが展示されています。我々は入館するや いなや一人の男性ガイドに太宰の生涯について、色んなエピソー ドを交えて解説してもらいました。
 このサロンは太宰がよく来ていたと言われる伊勢元酒店の跡 地に建てられたアパートの一階に開設されています。彼がいかに お酒を愛したかを示しているのがサロン内に置かれたバーカウ ンターと本棚にあるウィスキー。カウンターは銀座のバー「ルパ ン」のイメージを再現したものだそうですが、そのカウンターに 座っているところを撮った写真も館内に掛けてあり訪れた人の 目を惹きます。
 さて、本日のハイライトと称していた太宰 治の墓参(注2) は暗くな りかけたこともあり次回に回すこととし懇親会にしました。  森光さんご苦労様でした。そしてご参加頂いた皆様、遠路遥々 三鷹の地までようこそおいで頂き有難うございました。またいつ か残りの編も行えればと考えているところです。

(注1) 太宰は自宅以外でも執筆活動に従事していたことからあちこ ちに仕事部屋を設けていました。小料理屋「千草」の二階、中鉢 家、心中の相手山崎富栄(とみえ)の下宿先野川家の二階など、 三鷹駅前には太宰ゆかりの場所がいろいろ残っています。し かしそれらのほとんどは建て替えなどで跡形もありません。唯 一残っているのは三鷹駅の西すぐのところにかかっている陸 橋です。当時の姿を今も留めており、陸橋の上から富士山が見 えたと言います。今は幼児を連れた親や祖父母がやって来て、 電車に手を振って警笛を催促する親子連れたちでにぎわって います。
(注2) 禅林寺に眠る太宰治のお墓は、森林太郎(鴎外)の斜め向かい にあります。太宰治の命日は6月19日ですが、毎年この日に太 宰を偲ぶ「桜桃忌」が営まれ多くの太宰ファンが全国から集 まってくるようです。

参加者(五十音順、敬称略)
 阿部昌幸(S39・商)、河北聖一(S53・法)、児森進作(S42・商)、  浜道義章(S42・米U)、林 道子(S41・米)、村田重章(S42・米)、  森光盡一郎(S49・中)、吉田幸夫(S41・米) 村田重章(S42・米英)