北九州市立大学同窓会

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支部組織

鹿児島支部

元気増す支部の活動

 昭和44 年8 月16 日、鹿児島市にある県教職員共済組合・鹿児島荘に歌声が響いた。「見よ青嵐の足立山−」 「朧ろの空は明けゆきて−」。20 人が北方の懐かしい学舎、学友たちを思い浮かべながら、久しぶりの北九州大学校歌、逍遥歌に熱く酔いしれた。北九州大学同窓会鹿児島支部の設立総会が開かれ、焼酎を酌み交わしながら学生時代を語り、旧交を温めたのだった。

 支部結成に立ち上がったのは当時、入来商業高に勤務していた野村耕治(32 ・米)と上野鉄郎(33 ・米)だった。まず名簿づくりから始めた。教職員は教職員録で確認できたが、その他の同窓生の住所はほとんど確認できず、本部役員の児玉至誠(33 ・商=大口高出身)の協力をもらった。支部設立総会の案内状120 通を7 月中旬に発送、名簿もれの人への連絡のため、南日本新聞社の同窓生を通して「読者の欄」に2 回、案内を掲載した。

 初代支部長には当時、鹿児島女子高教諭だった幸得光 雄(29 ・米)が就任した。鹿児島は南北の距離が600km もあり、連絡体制を確立する必要から各地区に理事を置くなど、副支部長以下の役員が次のように決まった。

副支部長 野村耕治(32 ・米)、野田尚武(41 ・商) ▽幹事 上野鉄郎(33 ・米)▽理事 鹿児島地区=徳重芳久(41 ・商)、指宿地区=丸野純愛(40 ・商)、南薩地区=鎌迫博幸(41 ・商)、日置川薩地区=持留幸治 (43 ・米)、出水地区=宮口敬一(38 ・米)、姶良伊佐地区=竹下志朗(35 ・米)、曽於地区=小野田実美(36 ・ 中)、熊毛地区=恒吉一洋(41 ・中)、奄美地区=窪島登 (36 ・米)、鹿屋肝属地区=三浦英明(34 ・米)。

 昭和56 年の支部総会は8 月22 日、鹿児島市の東天紅に64 人が出席して開かれた。席上、支部活動を支えてもらった幸得支部長から辞任の申し出があった。後任には昭和60 年8 月24 日に鹿児島市のサンロイヤルホテルで開催した支部総会で山元貞明(38 ・商)を選出した。 山元支部長には6 年半、支部をリードしてもらったが、県外へ異動の ため平成4 年に顧問に。代わって丸野純愛(40 ・商=蒲生高)が第3 代の支部長に就いた。平成8 年の支部総会は5 月25 日、鹿児島市のホテル吹上荘であり、77 人が集まった。それまで不定期だった支部総会の開催を年1 回にするなど、支部規約を見直している。以来、支部総会の開催日は毎年5 月の第4 土曜日に固定されている。平成8 年には役員改選も行われ、 丸野支部長を支える次の役員が選出された。

副支部長・徳重芳久(41 ・商=鹿児島市役所)、浜田邦三(43 ・商= 鹿児島県庁)、岡田俊雄(45 ・済=不動商事)、中村修一(45 ・国文=南日本新聞社)、東島和子(45 ・国文=主婦、旧姓安藤)▽会計・廣尾亨人(H3 ・営=鹿児島市役所)、 石宮聡(H6 ・済=鹿児島市役所)▽監査・磯崎英一 (40 ・中=磯崎開発)、植松寧治(42 ・商=鹿児島商高) ▽幹事・小田光昭(41 ・商=鹿児島市役所)、木佐貫芳 広(49 ・営=鹿児島市役所)、原亮司(58 ・法=鹿児島市役所)、徳重正文(45 ・営=昭和エクステリア)、脇田俊三(50 ・営=鹿児島銀行)、窪克彦(41 ・商=鹿児島日立)、柿木正敏(47 ・国文=吉田南中)、橋本文孝 (48 ・米=鹿児島県教委)、新山剛(60 ・米=伊集院高) ▽理事・熊毛地区=阿世知亘富(42 ・商=三栄石油商会)、指宿地区=諸留昭夫(44 ・営=自営業)、曽於肝属地区=小手川清隆(52 ・国文=大隅肝属地区消防組合)。

 注目されるのは、副支部長に初めて女性が登場したことだ。東島副支部長は支部総会にさらに多くの女性会員が出席するよう、まとめ役を務めている。

 上記の役員のうち監査の磯崎が塩本元一(35 ・米=県PTA連合会事務局長)と平成10 年に交代、幹事の原、橋本、新山が同年に退任している。

 鹿児島県関係の同窓生は、平成11 年現在で約770 人、 うち約500 人が郷里に帰ってきているものとみられる。 前身の小倉外事専門学校、北九州外国語大学の時代は名前が鹿児島にあまり知られておらず、進学者はほとんどいなかった。進学者が多くなったのは、昭和28 年に校名が北九州大学に変わり、商学部が増設されたころからである。昭和41 年に文学部ができると女性を含めてぐっと増え、昭和48 年の法学部開設でさらに弾みがついたようだ。