北九州市立大学同窓会

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支部組織

北陸支部

北陸支部

 北陸地区(福井、石川、富山)では、支部設立総会を 平成8 年6 月7 日、石川県小松市粟津温泉「かたやま緑華苑」で開催した。本部からは中山悦定副会長が駆けつけ、発足に汗をかいてくれた。

 しかし、集まったのはたったの9 人で、そのうち富山地区からはゼロ。なんとも寂しいスタートだった。支部長に藤本勲(39 ・商、石川)、副支部長(福井県担当) に江藤信智(41 ・商)、評議員に村田淳(35 ・米、石川県担当副支部長兼任)、会計担当に片山隆市(40 ・中) らを選出。その後は努力不足で申し訳ないが、お互いの仕事に追われる時を過ごした。

 平成10 年7 月24 日、第2 回総会を同じ場所で開催した。 出席者は5 人。役員会と言いたいけれども、その役員でさえ全員勢揃いとはいかなかった。

 当時の藤本支部長は、北陸3 県在住の会員約90 人の中、 返信が3 分の1 。せめて返事ぐらい出してくれたらと嘆いたが同感だった。うれしかったのは、橋本吉郎(44 ・ 営)が参加してくれたことである。大阪府立清水谷高校出身で高校時代からのラガーマン。大学2 回生の時、福岡県でNo.1 となり、全国地区対抗で準優勝を経験しているとのことで、現在も毎週練習を欠かさず、その気力を生かして大和ハウス工業金沢支店の幹部として大活躍中である。

 今回の役員改選で、藤本に代わって村田淳(35 ・米) が支部長兼任となり、石川県担当の副支部長にこのラグビー部オールドボーイを起用した。他は留任となり、次回には1 人でも多く参加させようと誓いあったが、守備範囲の広すぎることが、今後、考慮すべき問題点のひとつであると思われる。

 平成11 年10 月の京都での全国総会には支部長と江藤信智副支部長が出席した。江藤はインタハイの中距離記録の保持者であり、在学中は陸上競技部で活躍し、現在はギフト商品会社の社長である。今後、福井県に大勢在住の同窓生への絆を深める要として大いに期待される。

 第3 回の北陸支部総会は、平成12 年3 月4 日、金沢市広岡のホテル六華苑(公立学校宿泊所)で開催した。本部から淵田博彦副会長(35 ・米)を迎え、京都総会の責任者としての苦労話や、同窓会創立50 周年記念事業への取り組みの様子などを聞くと共に、支部活動に一段と励むようにハッパをかけられたり、脅されたり(?)して、 楽しい同窓の集いのひとときを過ごした。

 今回、特筆すべきは、はじめて女性の参加を得たことである。その紅一点、柳橋節子(54 ・米)は在学中、 E ・S ・S で活躍し、石川県に戻ってからは青少年の教育に、得意の英語を駆使する才媛であり、その双肩に北陸支部のリーダーの一人としての期待がかかっている。

 支部発足以来当然のことながら、女性にも参加を呼びかけてきたけれども、殆ど振り向かれなかった。例えば、 平成10 年12 月の女性会員の集いでは、21 人中14 人から欠席の返事があり、残りからは音沙汰なし。富山市の鈴川八重美(51 ・米2 、現在横浜市在住)に無理をお願いして出席していただいたりした。

 さらに今回、若手の松本俊二(58 ・法)の参加も喜ばしい。現在、日興證券金沢支店の課長で、在学中は吟詠部で活躍。北陸支部としては頼もしい人材であるけれども転勤が気がかりである。今回早速だが、多忙で欠席した片山隆市に代わって会計をお願いした。その片山は石川県小松市の粟津温泉で旅館「かたやま緑華苑」を経営。在学中は中国語に没頭したことで知られる。

 ところで、初代の支部長、藤本勲は在学中、応援団長 として運動各部ににらみを利かせ、帰郷後は、能登の鹿島郡鳥屋で日生運輸の社長を務めながら、朝日陶芸展に入賞する繊細な神経と器用さの持ち主である。また、福井県議会議員で平成9 年9 月に病没された林順一(47 ・ 米)や、朝日新聞福井支局から大阪本社へ転勤した林国 広(H5 ・済)など、北陸地区の同窓生にはそれぞれの個性や才能を存分に発揮して、世間から高い評価を得ている人材が多い。

 支部長兼評議員、村田淳は卒業時、福岡県と共に石川県の高校教員採用試験に合格して、地元に就職したが、 学校という職場、保守的な風土と相まって、福岡県で勤めたらこんなこともなかっただろうと思う不愉快さを味わったことも一度や二度ではなかった。半面、それらが励みになったのも確かである。そして、同窓会活動の難しさは、高校の母校、金沢二水で事務局長を10 年余、務め根気のいる奉仕活動であることを熟知している。

 このような現状での問題点は、先に指摘した地域の広さに加えて、転勤する人が多いこともあげられよう。また、母校の所在地から遠いことで、北陸地区の高校生の間では良い大学として、かなり知られるようになっているけれども、まだまだ一般的には浸透していないため、 年配の卒業生には多少の戸惑いや気後れがあるのではな いかと思われることである。富山地区への呼びかけも課題の一つである。

 21 世紀となった今、学問の内容も学ぶ意味も変容し、 学生の学ぶ姿勢にも時代を経て随分変化が見られる。実社会への出発点としての大学の名前にこだわりすぎるなと言えば、同窓会活動への積極的参加の呼びかけと、矛盾するかもしれないが、立派になった校舎で学ぶ後輩達に、少しでも気持ち良く過ごせる社会的、地域的環境を提供するために、母校を肯定的に意識していきたいと思 う。創立50 周年を迎え、同窓諸氏が、気楽に、もっと胸を張り、誇りを持って活動に積極的に参加してくださることを切望する。