北九州市立大学同窓会

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千葉支部

千葉支部主催東日本大震災復興応援ツアーを実施

 我々は昨年3月11日の東日本大震災以降その惨状を多くのメディアの生々しい映像を 通して知った訳ですが、 1)1000年に一度と言われる大災害を視察しその惨状を後世に伝えたい。 2)現地で消費する事による「ささやか応援」行いたいと言う想いから、一度皆で現地に行って見ようと言う事になり、 先ずは参加費を極力安く抑え最小催行人数は20名に設定して応援ツアーを企画。 勿論近隣支部の関東・神奈川支部にもお声掛けをしたが残念ながら参加者は15名となり一時計画中止を検討するも、 それでは惜しいと言う皆さんのご意見で急遽中型バスからマイクロバスに変更。 この為バス会社の車庫に出向き車内の装備を点検した結果荷物を置くスペースが少ない点を除き、 大型バス仕様と何等遜色無いと判断、去る6月14日(木)から一泊二日の予定でこのツアーを実施しました。

6月14日(木)天気は曇り:

 JR西船橋駅を7時20分集合、神奈川支部からの女性参加者中村英子さん、 鵜原昌子さんピックアップの為バスは東京駅前迄移動、一人のドタキャンも無くバスは予定通り最初の訪問地松島に向けて出発。 何せマイクロバスの為車内は実に家族的な雰囲気が醸し出され快適に約400km先の松島へ、 問題は長旅なので車内でどう過ごすかを考え島村副支部長による司会。心地よいBGM、 更に千葉ピコアンサンブル谷山氏のフルートと吉田氏のギター演奏、皆さんと校歌斉唱、 適当なトイレ停車を入れながら安達太良SAで各自昼食。更に広報担当の石橋和也氏が準備した多くの資料を基に独特の語り口で彼の地の歴史についてのレクチャー、 成程、納得、そしてその説明のうまさに皆さん感服しながら松島に到着。
 松島到着後の第一印象は意外に平穏で、先ずはバスから降りて五大堂経由し近くに在る瑞巌寺を訪れる。 神秘的な雰囲気の杉並木を抜けて本堂へ、あいにくこの日は本堂改装中の為全景は見られなかったが、 内部の見学はでき歴史の一端を堪能し再び海岸へ。地元の人のお話では、松島は多くの島々が防波堤の役割を果してくれたので被害は最小限度に留められたとの事。 ではその島々を見てみようと言う事で急遽船頭さんと値段交渉?し全員で松島湾クルーズに乗船。 あの津波災害が本当に島々によって抑えられたことに納得、途中カモメの歓迎?に会い皆さんお菓子を手から上手に食べさせながらしばし長旅の疲れが癒され歓声が上がる。
 その後松島公園管理事務所の広場に移動し今回の大震災でお亡くなりになられた方々への鎮魂の想いを込め千葉支部が誇る千葉ピコアンサンブルによる屋外演奏を実施、 北九州市立大学の幟を立てて、故郷、星の世界、北上夜曲を演奏、そして今回の参加者全員で斉唱しながらの盛り上がり、中には感激され涙された方もおられた。(写真添付) その後バスは一路仙台のホテルに向けて移動、途中渋滞に巻き込まれるも仙台在住の同窓生中山規道氏(48年経営)が待つホテルへ予定より多少遅れるも無事到着。
 ホテルの部屋に荷物を置き直ちに“牛タンのせんだい”移動、早速中山氏に3.11の大震災の経験談をお話をして頂く。 冒頭、お住まいの地域での津波の影響は無かったがとにかく寒かったとのお話、勿論ライフラインの損壊でしばしご不自由をご経験されたが、 その中で停電時のランプは元より、とにかくお風呂の水は張っておく、飲料水の備蓄、カセットコンロとボンベの備蓄は必須と言うお話が印象的だった。 その後皆さんと楽しい歓談のひと時を持ち第一日目は無事終了。


 

6月15日(金)曇り:

 スケジュールがタイトな為6時50分に集合。7時に食堂の食べ物を各自手にしてバス内での朝食。 やがてバスは東北自動車道に入り北上、内陸部の一関ICから海岸線に向けてバスは移動し途中何ら問題の無い街並みを通過しながら海岸線に入り気仙沼に向けて南下、 なんと気仙沼に近付くにつれ津波の爪痕が生々しく残りその光景に“唖然”としながら気仙沼に到着。
 大型漁船が津波で内陸部に流されたままの放置状態に“仰天”(写真添付)、海岸から山裾までの平地は全て津波に持って行かれ家屋の土台だけの景色が延々と広がっており “絶句”。近場の安波山に登りあの津波の映像を思い浮かべながら廃墟の様な街並みを一望すると“震撼”を覚えもうこれで十分だと思いながらも石巻に移動。
 予想通り石巻も気仙沼と同様、日和山公園の高台から街並みを眺めると一部のビルの残骸を除き すべての地域が山裾まで土台だけの廃墟で“言葉も無い惨状”、 皆さんここで気を取り直し“復興マルシェ”に出向き被災地の製品の買い物に走る。
 “笹かまぼこ”“牛タンつくね”“地酒”がヨカバイでしばしその惨状を忘れての応援ショッピングで狭い店内はごった返す。 このまま黙っていると皆さんあの津波の様に根こそぎ品物を買いそうなので幹事から集合命令、 予定より少し遅れバスは15時過ぎに東京に向けて出発。仙台南ICから再び400kmの長旅、途中揺れるバスの中での谷山氏のフルート演奏、 SAでの夕食の調達、車内では“釣りバカ日誌”を放映、そしてほぼ予定通り東京駅前に夜9時に同着し出発地の西船橋駅には9時半に無事到着。
 振り返って見て今回の東日本大震災復興応援ツアーで惨憺たる被害状況を目の当たりにして我々の気持ちを萎縮させましたが、 現地の人々の復興の気力を感じ“応援”の気持ちをより強く持て、又、同学の皆さんと狭いバスでの長距離旅行通じ家族的な更なる絆を感じ、 今回ご参加下さったお一人お一人のおかげでこの応援ツアーが実現出来た点に感謝。 私見ではありますが震災後一年余を経過しながら依然あの状態を見るにつけ本当に計画的に復興処理がなされているのであろうかとの疑問、 言い換えれば瓦礫の処理に相当時間を取られているのか、そう言う意味では今回北九州市が瓦礫処理を引き受けたニュースに安堵の想いも感じた次第。 尚、皆さんでの飲食・買い物での消費は30万円強であった。金額的には微々たるものではありますが、 極めて有意義な約1,000kmに渡る応援ツアーになったと確信致しております。参加者の皆さんお疲れ様でした。

千葉支部 山下稔彦 記