北九州市立大学同窓会

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支部組織

豊前・築上支部

支部の誕生

はじめに
豊前・築上支部は、おかげさまで、今年創立30 周年を 迎えた。

“西暦2001年”新世紀の幕開けに、これまで支部活動を 支えてこられ、故人となられた方を含め、先人先輩の方々に深い感謝の念を捧げるとともに、30周年を契機として、これまでの支部活動の見直しをしなければならな い。

支部会員240余人の体制をいかに結束していくか、とりわけ年々増加する若い世代と女性会員の参加率アップの対策を講じること、そのために、われわれ支部会員一人ひとりが母校にとっても、また地域社会にとってもなくてはならないオピニオンリーダー的存在になるべく会員相互の同志的結束の強化を図ることが大切であることは言をまたない。

支部全体としてのさらなる発展を目指して、お互いに温かい心の通い合うヒューマン・ネットワークの拡充に努めたいと思うものである。

 

支部結成のころ
豊前・築上支部の誕生は、昭和45年10月、それまで所属していた豊前・中津支部から分離独立したもので、その間の事情については「同窓会25年史」によると「豊前・築上地区の卒業生の数は100人を超えるまでになった。大学と郷土の発展のため共に通学した顔と顔を想い、年1回は定期的に会おうではないか、豊前・中津支部から分離しようではないかの声が日増しに高まってきた」 とある。同年9月、準備委員会を発足させ、規約作成・名簿収集等で10数回同窓会本部へ足を運び漸くにして11条からなる規約と名簿ができ旅立ちの機運が高まった。 主な発足準備委員のメンバーは増田泰三(24・専米)、大田覺(24・専中)、矢野忠(28・米)、小川勝見(34・商)らが中心である。会員に発信した設立総会への案内状総数90余通のうち出席10通、欠席11通、あとはなしのつぶて。そこで世話人一同鳩首談合、最低30人の出席がなければ全員「丸坊主になる」との申し合わせのもと、片っ端から電話または戸別訪問等により全員糾合して勧誘にこれ努めた。

昭和45年10月17日午後5時30分、会場の豊前市「築上館」に三々五々懐かしい顔が揃ってきた。同窓31 人、大学から露語の植村進先生も出席され、ここに豊前・築上支部の記念すべき設立総会の幕が華々しく切っておとされたのである。

支部長に増田泰三を選出したのち、役員決定、規約の承認などが行われ、支部の目的として
1 .会員相互の連絡を密接にし会員の親睦融和を図る。
2 .本部と密接な連絡を保ち母校の発展に努める。
3 .地域社会の発展および文化の向上に努める。
を確認の後、乾杯、自己紹介へと進行していった。

「同窓会とはとにかく集まることに意義がある。会合してみて初めてやはり出席して良かったと思う。今後は さらに多くの参加者を得て大きなテーマの下に地域社会の発展のために貢献したいものである。なんら組織的な交流のなかった“豊前砂漠”もやる気になれば一夕にして豊穣たる沃野と化した思いであった」。増田初代支部長の設立総会における挨拶の結びである。

初代役員には、支部長・増田泰三 (24・米)、副支部長・大田覺(24・中)、花畑昭一郎(25・中)、幹事・ 白石昭典(24・米)、鳥谷慶司 (26・米)、矢野忠(28・米)、小川勝見(34・商)、工藤秀義(35・米)、 鞘野優(36・商)らがあたっている。

また、設立当時を思い出すたびに、いまだに頭を丸坊主にされてはというヒヤリとした感覚と共に、純粋な心と欲得ぬきで同窓生の幸福をひたすら祈り続けた世話人一人ひとりの心情を想うとき、改めて新たに涙腺を刺激されるのである。そして友愛精神が30年を経た今もなお当支部会員の精神的バックボーンとなっている。

初代支部長増田泰三第5回の支部総会(昭和49年)における「前略……同窓会とか同級会とかいう会合が、他の会合と異なる所以のものは何であるか、即ち“感激性”ということでありましょう。感激性があるからこそ、同窓会は特異な、そして最高の集いとなるわけです。また人生にとって最も必要なことはこの感激性であります。今日はそういう意味で一面識もなかった者同士が同窓生という一つの連帯意識でつながれ一夜にして10年来の知己の如くなる可能性を含んだ大切な晩であります」は増田支部長の挨拶で ある。

 

支部のモットー
我々豊前・築上支部の会員はそれぞれが活性化の哲学 を持った“燃える集団”である。だから開学40 周年の時も、また今回の同窓会50周年の募金においてもいち早く本部の設定目標を大幅に突破させて頂いている。

  募金実績額(達成率) 募金者の割合
開学40周年 275万円[223%] 108人/176人[61%]
同窓会50周年 90万円[204%] 91人/240人[37%]
 

「支部(会員)の本領は大学に対する愛校心と自らが帰属する地域社会に対する愛郷心の相乗積によって決まる」という前提の下に愛校愛郷の人間学の原点をかみしめ、志を高く持ち、意気を新たにしたいと思うものである。

幕末の儒者、佐藤一斎の言葉に「尽己」がある。尽己とは文字通り己を尽くすということ、何事に対しても自己のすべてを尽くす、誠心誠意を尽くし切る。これは初代学長、大島直治先生の遺墨「誠者天之道也 誠之者人之道也」と軌を一にするものである。自分を棚に上げ他人のせいにする精神からは何も生まれない。「之を誠にするは人の道也」すべてを自分の責任だととらえ、己の限りを尽くす。最高最善の努力をする、道はそこに開けてくる。大島学長の遺訓に応える唯一の道、それは誠を尽くして50周年記念事業を成功させることである。

増田 泰三