北九州市立大学同窓会

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大学創立70周年記念事業支援募金

大学創立70年に寄せて 三者トップ座談会

 母校・北九州市立大学は平成28(2016)年の創立70周年を節目に、 30年先(創立100周年)に向けてさらなる飛翔を目指し、3つのビジョ ン――「地域」「環境」「世界(地球)」をキーコンセプトに掲げ、新図書 館の建設をはじめ、さまざまな記念事業に取り組んでいます。  同窓会も、母校の発展とともに、在校生(学生会員)の実りある勉 学環境や有意義なキャンパスライフをさらに充実させるため、記念 事業の成功を後押しする「支援募金」に乗り出しています。この募金 活動では大学、後援会、同窓会の三者が一体となって目標額(1億 4000万円)の達成を目指しており、このためには記念事業について いっそうの理解が不可欠です。
 そこで、同窓会はこの機会に「大学創立70周年に寄せて」を大テー マに、近藤倫明・学長、佐藤政治・後援会長、田村允雄・同窓会長によ る「トップ座談会」を企画しました。3氏には、「70年の歴史を振り 返って」「70周年記念事業の意義と成功を目指して」「創立100周年 ―30年後の大学のあるべき姿は」「募金活動の趣旨への理解と協力 を求めて」について熱く語っていただきました <司会は、同窓会本部広報・情報幹事:屋地公克(S43・米英)>

建学の精神とフロンティア・スピリットは今もなお
―――まず近藤学長にお尋ねします。建学の精神と大学の モットー「フロンティア・スピリット」は今、どの ように継承されていますか。
近藤:
学長に就任(2011年)した5年前 に、「同窓会五十年史」、本学の「40年 史」で、大学がどういう経緯で設置 されたのかを紐(ひも)解いてみま した。非常に印象的だったのは、小 倉外事専門学校に初めて入学した 学生さんは半数が軍服姿の復員兵 で、しかし貪欲なまなざしで世界を学びたいと、勉学への熱 い思いをしっかりと抱えておられたということです。校舎は 旧兵舎で、ネズミやイモリが屋根から落ちてきた、かつての 軍馬用の馬小屋も使っていた、と聞きました。私たちの知ら ない、そういった時代の燃えるような思いをどう継承してい くか。その大きな契機になったのが、実は2005年の大学の法 人化でした。本学をどういう大学にしていくかという将来構 想を協議する中で、最初に議論になったのが、本学の設置理 念(建学の精神=注)、そして専門学校から大学になるまでの 苦闘の中で、学生たちが学びながら培った「フロンティア・ス ピリット」でした。これらを、「豊かな未来に向けた開拓精神 に溢れる人材の育成」として「公立大学法人 北九州市立大 学」の基本理念として定款にしっかりと書き込んだのです。
( 注)小倉外事専門学校初代校長・北九州外国語大学初代 学長の大島直治氏が、北九州外国語大学第1回入学式で、 「……不断に東西の文化を創造し、かくして世界の文化に 貢献しつつ、窮まりなく民族的個性を展開させていくこ とに寄与するところに本学の歴史的使命がある」と訓辞 した。これが建学の精神として、いまに伝えられている。
 法人化後、大学は法令で7年以内に1度、国の認定機関によ る評価を受けなければなりません。その際、設置理念が評価 されます。法人化して5年目の2010年(3月)に第1期の認証 評価結果が確定したのですが、法人化した時と認証評価、こ の2つの段階が、建学の精神や「フロンティア・スピリット」 を振り返る原点になりました。設置理念は公表する義務があ ります。したがって大学案内や卒業アルバムには必ず設置理 念が印刷されておりますし、入学式の時に私は式辞でそのこ とを話します。いま第2期中期目標・中期計画期間ですが、計 画の冒頭には設置理念が明確にうたわれていて、その理念・ 目的を達成するために、この6年間でこういうことをやりま すと「北の翼」の中で宣言したのです。それに対して、設置者 の北九州市は議会の承認を得て「予算をつけましょう」と6 年間の保証をします。これは法人化の1つのメリットであ り、目的の明確化がなされたのです。建学の精神、「フロン ティア・スピリット」は継承されていますし、今後も引き継い でいきます。

社会貢献、地域貢献を目指す
―――現在の北九大は総合大学として、他大学と競う条件 はそろっていますか。
近藤:
非常に多くのことが昭和から平成にかけての発展期の中で そろってきたと思います。外国語学部だけの外国語大学とし て出発し、商学部ができ、文学部ができ、法学部ができて、文 系総合大学を目指した時期があります。平成13(2001)年に 国際環境工学部が設置されて新たな局面を迎えました。これ は北九州のものづくり、環境に特化したということで、大き な意義があった。もう1つは、平成21(2009)年にできた、学 部と同等の地域創生学群です。地域の創生は21世紀の政令 指定都市の中でも少子高齢化、人口減少が進む北九州市にお いて重要な取り組みです。政府は昨年、その担当相を置きま したが、私たちはこの6年前から地域の創生と再生を目指す 人材の育成をスタートさせています。非常に先見的で、「地 (知)の拠点大学による地方創生推進事業」を目指す中で、地 域創生学群のこれまでの取り組みは大きな方向性を示すモ デルになっており、これは全国に発信できるものと考えてい ます。一方で小倉外事専門学校が米英学科と中国学科でス タートしたのは、世界に羽ばたくということで非常に意味が ある。本学は平成24(2012)年度、文部科学省の補助事業「経 済社会の発展を牽引するグローバル人材育成支援」に採択さ れました。これは、地方の大学でありながら、東アジアを目指 した、世界に羽ばたこうという理念の具現化と考えるべきだ ろうと思います。さらに、もう1つ重要なことは、地域の産業 に対し、ビジネススクール(大学院マネジメント研究科)を設 けたことです。教育・研究だけでなく、社会貢献や地域貢献を 目指した大学をつくるための大きな武器というか、知的財産 です。今後はいかに結果を出していくかが問われます。

―――地域創生学群の取り組みは全国的にも高く評価さ れていますね。
近藤:
今年3月に調べたところ、奈良県立大など全国の7公立大学 (高崎経済、大阪府立、青森県立、新潟県立、奈良県立、滋賀県 立、長崎県立)に「地域」という名称が付いた学部・学科があり ます。全国に86校の公立大があり、本学が地域創生学群を設 けたのは3番目ぐらいでしたが、昨年「地域創生」という流れ が出たとたん、国立大学も学部の新設を始めました。今年、高 知大学が同様の学部を設けました。おそらく本学の地域創生 学群は国立大学のモデルになると思います。
田村:
終戦翌年の昭和21(1946)年に開学 し、その5年後に同窓会が産声を上 げました。おそらく昭和50年代半 ばまで北九大で学んだ人たちには 「フロンティア・スピリット」「開拓 者魂」は相当根強く、特に同窓会を 立ち上げた人たちは自ら汗して、
雑草、ぺんぺん草の生えている野っぱらを運動場に変えた。本 もない、先輩もいない、全くのゼロから自分たちで道を切り 拓いたのです。その燃えるような魂は今も連綿と続いてい る。昭和60(1985)年、同窓会は開学40周年記念事業として 募金を企画した。大学も設置者も頑張っているが、資金が足 りない。ならば同窓会が支えようと、1億円を集めました。ま さにゼロからの出発でしたが、開拓者魂が生きていました。 全員、火の玉になって取り組んだ、と「同窓会五十年史」が記 しています。平成11(1999)年には、同窓会創立50周年記念 事業として再び募金活動を展開しました。その時も熱意はす さまじかった。大学を支援する資金を調達するため5,500万 円を集めました。そのような時代までは同窓生に開拓者魂、 母校愛が確かにあった。その後、変化しているようですが、私 たちはいま、「チャレンジを」と訴えています。社会に出たら、 それぞれの夢や目的に向かって挑戦していくということ。同 窓会もいろんな活動の中で、大学の設置理念、フロンティア・ スピリットを訴え続け、継承に努めています。かつて北九大 の知名度は低かった。私事になりますが、昭和42年に卒業、 就職した当時、同期入社の男から「北九大? どこにあっ たっけ?」と問われ、「おのれ! 10年後、20年後を見てお れ。実績で勝負だ」と発奮し、頑張ってきた。今の私があるの は北九大のおかげです。だから愛校心も旺盛なのです。70周 年記念事業は、そういう意味で個人的にも感慨深いものがあ ります。
佐藤:
私は昭和45年卒です。入学後は勉強 をと思っていましたが、先輩に卓球 部に誘われ、それからは誰よりも繁 く体育館に通うために大学に来た のではというくらいに打ち込みま した。当時の卓球部は強かった。1〜 2年の時、全国国公立大会で団体準 優勝、私が決勝のラストで出て勝てば優勝という時に負けて しまい、とても勉強をさせられたことを鮮明に覚えていま す。3年生の時に同じくダブルスで優勝、4年の時は個人ダブ ルス第一シード、結果は個人準優勝、
ダブルス ベスト8、全 日本大学インカレで、団体ベスト8と成績を残せた事を想起 します。でも勉強はしなかった。それを許してくれた先生に 感謝しています。負けた悔しさ、勝った喜びをみんなで分か ち合えたことが思い出に残っています。江戸後期の儒学者、 佐藤一斎に「少にして学べば荘にして為す有り」「荘にして学 べば老いて衰えず」「老いて学べば死して朽ちず」という言葉 があり、私は大好きです。新図書館の建設も学生にとってと ても良い事業だと思います。日本の歴史や文化を知ることに よって初めて外国の方とも議論ができます。イギリスの人達 が近松門左衛門を学ぶために日本に来るように、日本人も シェイクスピアを学ぶためにイギリスに行くだろうと思いま す。その際、日本人が近松のことをよく知っていて、それを英 語で丁寧に話せるようになったとき、初めて互いの扉が開か れるのではないでしょうか。その時にこそ海外の人たちが、日 本の文化や伝統を理解してくれるのだと思います。 アジアの玄関口として、日本の文化や伝統をよく知って、そ のことを外国語で説明できるような学生を育てて行くこと が大切だと思います。

学生が生き生きと活動し、学ぶ図書館に
―――そこで、創立70周年記念事業の話に移ります。まず新  図書館について近藤学長に説明していただきます。
近藤:
図書館はキャンパスの顔、知の回廊です。図書館を何とかし たいという思いは昭和62(1987)年に北九大に赴任した時 からの私の切実な願いでした。法人化後、国内では大阪市立 大学や金沢工業大学など、当時の斬新な図書館をいくつか と、海外ではイギリス北東部の7大学を視察しました。本学 の学生は、授業が終わると帰るか、サークル会館に行くかで すが、イギリスの学生たちは空いた時間や授業後に予習や復 習をする場、友人たちと会話をする場として図書館を利用し ていました。1990年代に始まった「ラーニング・コモンズ」と いう考え方です。静かに勉強をするだけでなく、学生たちが生き 生きと活動する場、アクティブラーニングをする場、実際に教 育の場として活用できる、そういう図書館をぜひつくりたい。

―――現図書館はどうされますか。
近藤:
新図書館は環境に配慮し、ソーラーパネルなど自然を利用 した最新鋭の環境施設として見学できるようなものにし、 現図書館と組み合わせて役割分担をすることを考えていま す。現図書館は、新図書館の完成後に改修し、もっと有機的 に機能させる計画です。学生たちに有効に利用してもらう ほか、教職員、大学の関係者、市民に開放します。
田村:
九州大学伊都キャンパス、福岡大学、福岡女子大学、西南学院 大学、立命館アジア太平洋大学などは、図書館を「キャンパ スの顔」にしようと大幅な刷新を行っています。大学の新し い魅力づくりで、ある意味、少子化が進む流れを見据えて学 生獲得の狙いもうかがえます。
近藤:
本学はキャンパスが狭く、学生が滞在する場所がない。何と かそういうスペースをと、1、2号館の間に交流スペースを 設けましたが、朝早くからかなり有効に使われています。
田村:
学生も新図書館に期待していると思います。その機能強化と 拡充は、大学、後援会、同窓会が一体となって取り組んでい る募金の充当先の目玉でもあります。
近藤:
オープンキャンパスなどで高校生が訪れた時の目玉とした い。蔵書数も現在の約57万冊から72万冊に拡大できますが、 北九州市内の各区にある図書館とネットワークを構築すれ ば150万冊になる。新図書館にセンター機能を持たせ、市内の 図書館と結ぶネットワークづくりも今後検討したい。まずは、 ひびきのキャンパスの図書館とネットでつなぎたい。

グローバル人材を育む拠点
―――国際交流施設ですが、計画は具体化していますか。
近藤:
グローバル人材育成の中で、避けては通れない施設ですが、 キャンパス内に設けるのは難しい。大学から離れた所では 利用しづらい。いくつかある候補について、大学と市当局の 間で、どういう形が最もいいか詰めてもらっています。
佐藤:
受け入れる専用施設がないと、留学生は施設のある関東など の大学を留学先に選ぶことになります。
近藤:
平成28年度中にできるか微妙ですが、少し待っていただけ れば具体的な姿ができると思います。

―――それを楽しみに待ちましょう。続いて、グローバル 人材の育成について、学長のお考えを。
近藤:
グローバルであるためには何が必要か。専門分野とともに日 本の文化、歴史、さらに郷土・北九州のことをきちんと学び、 それを英語、中国語で外国人にプレゼンテーションでき、 ディスカッションできる。そして、環境づくりを学ぶ。そう いうことを身につけることです。学生は現在、副専攻の中で 北九州学を学んでいます。

請われて国際会議のホスト校に
―――第3回アジア未来会議が、創立70 周年の平成28 年9〜 10 月、北九州市で開催され、北九州市立 大学がそのホスト校を務めます。重責を担うわけ ですが、大学の存在感高揚の好機ですね。
近藤:
第1回アジア未来会議が2年前(平成25年3月)、バンコクで 開催され、その時、ホスト校だったタマサート大学の学長の 要請で北九大も一緒にホスト校を務めました。この会議は 2年に1回開催されており、2回目はバリ島でした。第1回 会議の時に「第3回は日本で開催したい。北九大がホスト校 を引き受けてくれないか」という話が出て、大会会長の明石 康さんからも「ぜひ北九大で」と言われました。開催年度が 平成28年度、ちょうど本学の創立70周年に重なりますの で、ホスト校を引き受けたわけです。

―――会議のテーマは何になりますか。
近藤:
日本では初めての開催です。アジアを中心とした世界の約 20カ国から日本に関心のある若手、中堅の研究者約350人、 総勢約1,000人が参加、研究発表やディスカッションが行わ れる予定です。会議のテーマは、北九州の特徴を生かし、「環 境」とか「女性」とか、そういうものにしたいと考えています。
佐藤:
この北九州市での開催は歴史的にも意義深いと感じています。
近藤:
ただ、単にアジア未来会議を開催するだけではなく、アジア 女性交流・研究フォーラム、アジア成長研究所(AGI)など がありますので、そういう研究会と合同で北九州らしさを 出して分科会、関連学会を開催したい。小倉城をぜひ使って ほしいとの要望もあり、小笠原のおもてなしなど北九州の、 あるいは日本の文化、歴史を知ってもらいたい。また、参加 者で観光見学もしますので、会議とは別に、北九州の観光地 をはじめ、安川電機のロボット村、TOTOの水のプレゼン センター、水のビジターセンター、若松区のリサイクルセン ターなどを見ていただき、北九州を認知してほしいと思い ます。
田村:
国際会議の面倒をみるところまで北九州市立大学が成長し たということですね。

地方の中核としての大学に
―――30 年後、つまり創立100 周年を迎える時の大学 のあるべき姿をどう描いておられますか。
近藤:
30年後を目指した「ビジョンブック」を作りました。第2期 中期計画が始まった時、学長、副学長で10のプロジェクトを 作りました。6年間で70項目を完結するために作ったもの ですが、すでに8つのプロジェクトは完了したり、次のス テップへ引き継いだりしています。残っているのが2つ。70 周年プロジェクトと認知度向上プロジェクトです。認知度 向上プロジェクトでは、本学の存在感、認知度を向上させる ためにブランド化を考え、30年後を見据え、本学の若い教職 員を中心に「ブランディング検討ワーキング会議」を設立、 ビジョンロゴマークと「ビジョンブック」を作りました。そ の中で、「地域」「環境」「世界(地球)」という3つのキーコンセ プトを、開学当初からの理念の流れの中で策定し、掲げまし た。これを、30年後への第1歩としていきたいと考えていま す。現実的な問題として「2018年問題」があります。18歳人 口が30年前の205万人から、今118万人ほどに減少。2018 年からはさらに減って120万人から90万人程度になる。認 知度向上プロジェクトは、そうした時代の流れの中で大学 の存在を維持するためのもので、まずは3つのキーコンセ プトを目指した大学をつくっていくということ。もう1つ は、COC(センター・オブ・コミュニティ)という考え方で、 知の拠点。地方の中核としての大学の存在、大学なしに地方 は成り立たないということを理解していただくこと。そう すれば大学がなくなることはないだろうと。逆に言えば、地 方公共団体、設置自治体との関係を重要視した意味での大 学存立で、それがグローカルにもつながっていく、郷土愛に つながっていく。学生たちにはできる限り「オフキャンパ ス、オンコミュニティー」、つまり地域に出て学び、地域への 愛着、シビックプライドを身につけてもらう。そうすれば市 民としてのプライド、大学についてのプライドも身につく だろうと考えているのです。

―――中期計画で描いているグランドイメージの「北の 翼」はどこに向かって翔ぶのでしょうか。
近藤:
「翼」といえば、私は校歌に思い出がある。校歌は1番から3 番まで、北方を歌っているものであった。2001年に国際環 境工学部ができたが、入学式、卒業式ではいつもそのまま北 方を歌っていました。それで、当時の矢田俊文学長から「国 際環境工学部(2001年開設)設置10周年を記念して、ひびき のを歌い込んだ校歌を」と言われた。作詞者の遠丸立さんが 立川市にご健在と分かり、事務局次長が訪問し、これを依頼 した。ところが、遠丸さんは2010年12月に亡くなられた。四 十九日法要を終えて相談に行くと、夫人の文筆家・貞松瑩子 さんがすでに作詞してくださっていた。それを見て、60年前 の遠丸さんの作詞と夫人の作詞が「翼」で呼応しているのが 分かりました。1番の「天翔る理想の翼……」、夫人作詞の5 番の「颯爽と羽搏(ばた)きゆかむ……」ですね。大学4年間で 自らの翼を鍛え、卒業して世界に飛翔しようというイメー ジが見事に浮かび上がってくる。2011年の卒業式に夫人を お招きし、新たに加わった4番、5番を含め在校生のコール・ ユーフォニーが歌い、お披露目をしました。同じ年の入学式 では、学長に就任した私がこの経緯を説明しました。
田村:
以前の3番までの歌詞を刻んだ、同窓会が寄贈した歌碑は北 方キャンパスにあるが、5番までを記した歌碑がない。ひび きのキャンパスには歌碑そのものがないですね。
近藤:
ひびきのでは、大きな額に入れて飾ってあります。北方は キャンパスが狭いので、同窓会館を学生が活用できるよう にしてもらえれば・・。サークル会館にも近いし、青嵐門(北 門)もできた。この窓から最初に見える同窓会館を「大学の 顔」にした方がいいと思いますが。
佐藤:
大学は北九州にあっても、就職となると学生たちは関東、関 西へ出て行き、地元に就職する者が少ない。地元で学んだ学 生はもちろん、関東、関西の大学に進学した北九州出身者を 卒業後に、どう地元に環流させるか、させ得るか。その議論 を地域、大学と一緒にしていかなければと痛感しています。

今こそ大学への愛着とプライドを
―――さて、記念事業支援の募金です。大学創立70 周 年記念事業実行委員会の委員長でもある近藤学長 に、その趣旨などについてあらためて説明をお願 いします。
近藤:
募金趣意書を作り、ご協力のお願いがスタートしました。実 は60周年事業は、当時、公立大学法人化への準備と整備など で行うことができませんでした。大学創立70周年、国際環境 工学部の設置15周年の周年事業は、法人化後の大学が初め て行うものです。この機会に、私たちは本学の認知度の向上 を図り、プレゼンスを高めたいと強く思っています。事業の 展開に当たっては大学、同窓会、後援会が一体感をつくる必 要があり、そのためには約6万人の同窓会会員の皆さんに、 大学への愛着とプライドを示してほしいと心から願ってい ます。事業にはお金がかかります。今回の募金で集まったお 金は教育・研究の支援に充てられるようなものとして活用 したいと思います。
田村:
70周年の次のステップに向けて、ですね。
近藤:
そうです。将来へつなぐ投資として。
田村:
同窓会は支援募金活動の推進エンジンの全開態勢に入って います。同窓会が募金の使途として強調しているのは、学生 会員への支援という観点です。最低4年間のキャンパスラ イフを従前にも増して良くしていくということです。厚生 会館(生協食堂)は半世紀近く経って老朽化がひどいうえ、 使い勝手が悪く、学生からは改修を望む声が出ている。北方 のサークル棟は老朽化し、ひびきのキャンパスにはまとも なサークル棟がない。こうした環境を改善するため、同窓会 は今回、本部と支部が心をひとつにして取り組んでおり、 100周年に向けた「大河の源となる一滴を」と、支援募金への 協力を呼びかけています。同窓会は一昨年、在校生を対象に 初めて、アンケート方式で同窓会に対する意識調査をしま した。その結果は、「同窓会がどんなことをしているか知ら ない」が75%、「卒業後、同窓会活動には参画したくない」が 71%など、この分析データには大きなショックを受けまし た。このまま無為無策、手を拱(こまぬ)いていると、同窓会は やがて衰退の一途をたどることになる。それではいけない、 学生会員でもある在校生への支援事業を強化しよう、先輩 としての心情が伝わる支援をしようということを組織内に 訴え、支援募金パワーを広げていきたい。
佐藤:
後援会としても、同窓会の支援募金活動と呼吸を合わせなが ら、ともに頑張って生きたいと思います。
―――長時間、ありがとうございました。