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嘉飯山支部のご案内


同窓会総会をはじめ、同窓会関連の会合に出席して、 よく受ける質問が「支部名はどう読むのですか?」であ る。 嘉飯山支部の「嘉飯山」をどう読むのかである。地元 の支部でありながら、知名度がここ数年低下してしまっ ているのが現状である。

地理的に少し説明すると、福岡県のちょうど中央部に 位置する支部である。「嘉」は嘉穂郡8 町−嘉穂町、 桂川町、碓井町、筑穂町、稲築町、庄内町、穂波町、頴 田町。「飯」は飯塚市。「山」は山田市。この2 市8 町を 合わせて「カハンザン」と読むのである。

かつての産炭地で、一級河川・遠賀川の上流域であり、 別名、「川筋」とも呼ばれている。 同窓会事務局によると、卒業生は311 人である。JR 筑 豊本線、JR 鹿児島本線を利用して通学が可能な地域で、 そのためか、多数の同窓生を有している支部である。 支部発足の正式記録は昭和37 年となっているが、それ よりかなり以前から独自の懇親会形式で支部活動はされ ていたのである。

つまり、在校生と卒業生が合同で懇親会を開催してい た。通学列車の中で企画がまとまり、卒業生へ連絡して の開催であった。会には故人となられた美山教授が必ず 参加され、和気あいあいとしたものであった。今のよう な豊かな時代ではなかったので、飯塚市の東町公会堂、 吉原町公会堂、新飯塚公民館といった所で校歌を歌い、 逍遙歌を口ずさんで談論風発したものである。経済的に も社会全体が困窮していた時代なので、二次会などは、 もちろんなかった。

その他に、列車内での発議企画でソフトボール大会、 福智山登山なども衆議一決実施された。“川筋気質”の 風土的背景もあって蛮から、男子中心の運営であった。 盛会時には120 人近くの参加者で、勤務地が他支部にな っていてもわざわざ帰省して参加する同窓生も少なくな かった。

昭和37 年の支部正式発足後もしばらくは、この形式が 続いていた。その後、在校生と卒業生を分離して支部総 会が開催されるようになった。会に毎回出席して頂いた 美山教授(故人・体育)、土居名誉教授(28 ・米)、原田名誉教授(教育学)の存在は大きなものであった。

特に、土居名誉教授は本支部のご出身でもあり、支部 活動に側面から多大のご助言をいただいた。 その後、支部活動は衰退の一途をたどり、総会も開か れなくなってしまった。
「北九大の支部総会をしょうや!」
「北九大の同窓会をしょうや!」
の声は各方面から上り、故美山教授からも「支部総会をせにゃいかん!」との一喝もあった。

しかし、一度活動が途絶えると、会員連絡網もズタズ タになってしまい、開催不能の状態が続いてしまった。 そんな中で、飯塚市役所課長の松尾正(32 ・商)が、 市役所内だけでも後輩に対して何か力になってやりたい という思いから「北斗会」が結成されたのである。 逍遙歌の一節と、北斗寮からの命名で「北斗会」とな ったのである。

最初は、松尾正を中心に5 人であった。「北九大卒業 生が集まって酒でも飲もう」から始まり、市役所の初任 給2 万円の時代に月会費1,000 円で組織化も進んだ。 女性会員も急速に増加し始め、規約等も整備され、会 の形式もスマートになり、ワイン主流の時代になってい った。嘉飯山支部の灯を消すことなく、支部内唯一の職 域同窓会組織となっていった。

そして、昭和57 年1 月になり、同窓会本部から「北九 大嘉飯山支部旗」が授与され、現在に至るも、支部旗は 「北斗会」が保管している。

この間の松尾正の統率力、後輩への指導助言、母校愛 は特筆大書に値するものである。 その後、大中輝幸(39 ・商)に北斗会会長職がバトン タッチされ、現会員は22 人の多きに達している。大中会 長は飯塚市立図書館長の要職にありながら「北斗会」を グループ別に編成し、幹事を持ち回りにするなど、会の 活性化に努め、後輩を世話している。

 

吉松 利文